天正遣欧少年使節
16世紀後半、天正時代、キリシタン大名とイエズス会によって、伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノの4人の少年がヨーロッパに派遣された。彼らこそ初めてヨーロッパに渡った日本人であり、またヨーロッパに住む人たちにとっても初めて目にした日本人であった。
1582年に長崎を出発し、マカオ、ゴアを経て、1584年にリスボンに到着した。彼らははヨーロッパの70の都市を訪問し、スペイン・ポルトガル国王とローマ教皇に謁見するなど、当時ヨーロッパに大きな話題を振りまいた。
それから8年半後、ようやく帰国した日本の状況は全く変わっていた。彼らが不在の間に、新しい統治者である豊臣秀吉は、キリスト教禁止令を出す。その後の4人の青年達の運命は辛く悲しいものとなった。
*ピサでのある晩、当時のトスカーナ大公のフランチェスコ メディチは使節団を彼の主催する舞踏会に招待した。彼の妻ビアンカ・カッペッロは伊藤マンショと踊り聴衆から拍手喝采を浴びた、という逸話が残っている。